祈り
今年もコレクションの時期が来ました。
アトリエではコレクションの発表へ向けて最終段階へ向かっています。
その中で縫製者さんが縫っててくださった洋服の最終仕上げを行う工程があります。
通常のミシンだけではできない手縫のまつり仕上げや、
特殊ミシンを用いたホール開けの仕上げ等がこれにあたります。
熟練の縫製者さんが最高の状態で縫い上げてくださった洋服に手を加える、
その瞬間に服と向き合う緊迫感が最高潮に達します。
中でも特殊ミシンは最終最後まで調整をしますが、
踏み込めばそこから先はミシン次第。
目にも止まらぬ速さで進む針の動きをなんとか捉えようと凝視しながら、
その一瞬の判断に遅れを取らぬよう必死についていく、
その繰り返しです。
しかし生地やその時のミシンの調子によって、
出来上がりは毎回微妙に異なります。
ときに、どうしようのないこともあります。
そのためこれまで仕上げに入る際は入念に確認し、
ミシンの調子はどうか何度も試してみてから臨んでいました。
緊張感の中である意味これから踏むミシンに対しての恐れや不安を抱えていました。
しかしそういった時に限って何かは起こります。
そしてまたミシンに対して不安を抱く、
そんな悪循環に陥っていました。
そんな時以前デザイナーから聞いた「機械に好かれる人とそうでない人」がいるという話を思い出しました。
初めて聞いた時は「道具を大切にする人とそうでない人」によって道具の扱い方が違い、
その結果上手く扱うことができる人とそうでない人に分かれるというお話かと思っていました。
しかし「機械を機械だと思っている人は好かれない」という言葉の意味が、
なんとなく分かり始めるにつれてもう少し大きな話であることに気がつきました。
これまでの機械を機械としてでしか見ていなかったため、
コントロールできない事に不安を覚えていました。
今はミシンを踏む際その緊張感はまだまだ持ちつつですが、
「信頼すること」を意識しています。
「やれることはやったから大丈夫だろう」と思いながらミシンを踏むのではなく、
「後は任せたぞ」と信頼することで格段に上手くいくことが増えたように感じます。
最終的には神頼みという精神論にも聞こえますが、
個人的にはそれだけでない確かな違いを実感しています。
服の最終仕上げを行うその責任感の片棒を自分も担いでやってやるという自覚を持つことで、
そこでこそ出てくる集中力や底力が引き出されているように感じます。
以前デザイナーにミシンと向き合ってどんな気持ちか聞かれた時、
僕は「緊張します」と答えました。
そして逆にデザイナーへミシンを踏むときにどう言った気持ちであったか聞いたとき、
半分笑いながら「祈るしかないよね」と答えてくださったことが非常に印象に残っています。
その時は「なんとかうまくいってくれ!」という懇願するような気持ちかなと思っていましたが、
今思い返せばそこに「任せたぞ」という信頼があり、
それが感謝やお願いといった形の「祈り」として現れたのかなと今は思います。
そして相手に任せたぞと信頼を置くためには自分自身もやるべきことをやっていないといけません。
そこにちゃんと向き合えているかがミシンを踏み込む際に試されているように感じます。
そのためにも普段からきちんと自分自身にそして洋服に向き合い、
一つづつ積み重ねていかなければと改めて思いました。
そのように関わった方一人一人の想いが詰まった山内の24ssももうすぐお披露目です。
東京では7月28日(金)から7月30日(日)まで、
名古屋では8月3日(木)から8月7日(月)まで展示受注会を開催予定です。
皆様のご来場を楽しみにお待ちしております。
作/倉員