自信
こんにちは、倉員です。
最近自信について考えます。
24-25awコレクションの製作にあたりそれぞれの分野の方とお話しをすることが増えるなかで、共通して自信がある方は魅力的な方が多いように感じます。
自信を持っているということは良いことだと思う一方で、学ぶ活力というのは自信が足りていないところからくるのではと思ったりします。
「若いうちは自信なんていらない」そういった言葉に対して納得できるときもあれば、本当にそうなのかと疑ってしまうときもあります。
そんなことを考えているうちに自信とは一体どういったものなのか。
考えているうちに自信というものが、自分が想像しているものと少し異なるものなのではないかと考えました。
自信:自分の能力や価値などを信じること。 自分の行為や考え方を信じて疑わないこと。
自信とは自分信じること。
しかしその捉え方によって良くも悪くも働きます。
自信というものをニュアンスで分けていったときに、「自負」と「覚悟」の二つがあるように思いました。
どちらも自分で決めることではあるので明確に分かれているわけではなく表裏一体なのだと思いますが、それでも自分の自信を深掘りしていけばどちらかによっているように思います。
「自負」による自信とは先に書いたように、「自分の能力や価値などを信じること。 」にあたると思います。
これが自分の気持ちを支えてくれますし、同時に行きすぎると、「自分の行為や考え方を信じて疑わないこと。」につながり「慢心」となります。
これまで自分がイメージしていた自信はこちらのタイプでした。
それではもう一つの「覚悟」による自信とは。
これは自分の中で約束事として決めたり、行動していく中で培われるものではないでしょうか。
ある意味この手の自信を持っている人は自分の能力を信じて疑わない自信家ではなく、むしろとても慎重で物事の保証のなさを良く知っている人が多いと思います。
「自負」による自信を持っている人は自分自身を保証としますが、物事に100%の保障はないと考える人は「覚悟」することで自信を手に入れているのだと思います。
堂々と宣言することで覚悟を決め、あとは集中して取り組む。
やると決めることで責任感を持ち、可能かどうかではなくどうやったらできるのかを考える。
自分自身の才能やそのものの保障に自信は持つのではなく、そこへ取り組んでなんとかやり切る自分の行動に自信を持つ。
そんな自信であると思います。
それ故明確に自分の主張がありますし、それを発言することを厭わない。
これまで自分は自分の主張というものに対して正解かどうかがわかるまであまり発言することはありませんでした。
しかし今回考えれば考えるほどに、自分の主張を発言している人こそその不完全さについてよく理解していることがわかりました。
それでも声を大にして発言するのは、やってみなければわからないこと、そして例え自分の主張が誤りであっても全体を見ればそれが前進であると考えているからではないでしょうか。
自分が正解か不正解かといった次元にとどまらず、全体を良くしていくために自分は尽くす。
そんな考え方を持てると、たとえ間違った行いをしてしまったとしてもそこへ尽くした自分には自信がつきます。
こういった自信は外部から影響されることが少なく、自分の周りではイレギュラーがあって当たり前と考えることで、周りに対しても寛容になれるでしょう。
これまでは自信のある人というと自信満々な人という印象でしたが、あくまで謙虚で物腰が柔らかな人も自信があるのだと気づきました。
周りのことを少し気にかけつつも自分のやるべきことに没頭している。
人を惹きつけるような魅力で溢れた人は、そのような人であると思います。
ありがたいことに今そのような方々とやりとりする機会に恵まれています。
自分もその経験から自分らしい自信を身につけ、少しでも魅力ある人間に近づいていけるよう今年度も努めていこうと思います。
作 / 倉員