モノをつくるということ。
「モノをつくるということ」
山内で日々モノづくりをおこなっていく中でこれがどういったことなのかひしひしと感じます。
今回は「モノをつくること」ではなく「モノをつくるということ」について少しお話ししようと思います。
モノづくりにおいてデザインすること、モノをつくることが注視されがちです。
もちろんどれはモノづくりにおいてとても重要な箇所を担っているように思います。
しかしデジタルが発達し3Dプリンターなどの登場で二次元だけでなく、三次元においても思うように形が出来上がる現代。
このなんでもできると思われる現代において「モノ」そのものだけではもはや力不足のように感じます。
そんな現在においてモノづくりをする上では「モノをつくるということ」に対する捉え方がより重要になってくるように思います。
モノをつくるということはそれを思い描き計画することだけではありません。
手を動かし身体を働かせて形にすることで初めてモノづくりは成立し、同時にそこで生み出されたモノそのものがモノづくりの成果となります。
現実のモノづくりは非常に緻密で手間のかかる作業に積み重ねであり、自分以外の物事との繋がりの中で生み出されます。
自分だけではコントロールのできない状況の中でやり直しも利かない、しかしその中で出来上がったモノが間違いなくモノづくりの成果でありそこに一切の言い訳はできません。
それ故なんとか次々に変化する状況に抗いときに身を任せ、なんでもできる世の中でなんでもできないことの多いことを実感しながら形にしていくのです。
そしてモノづくりに携わる者である以上モノに最後までこだわりを持ちますが、同時にモノづくりは「モノ」ではなく「コト」によるものであることを実感させられます。
これまでこの「コト」はものが持つコンセプトやその影響力のみのことであると思っていました。
しかし実際に様々な人と関わり様々なモノを集めてモノをつくっていく中で、最近ではその「コト」が人間関係や世の中の流れなどより現実的であると同時に漠然と広いものであることだと思うようになりました。
「コト」に注視していくとモノづくりをする上での進み方がまた変わってきます。
モノにこだわりつつも人間関係を優先し、それでも質の高いモノを生み出し続ける、
そのような山内のモノづくりの姿勢がまさしくこれからのモノづくりの姿ではないかと思います。
なんでもできると思われる世の中は実はなんでもできるわけではありません。
しかしその状況をなんでもできると錯覚してしまうと惑わされ、物事が見えづらくなってしまいます。
モノつくりにおいて大切なことは結局いつの時代もそう簡単には変わっていくものではない、そこに気づくことが現代「モノをつくるということ」の意義であるように私は思います。
作 / 倉員